30歳を目前に海外へ旅立つ話

〜昨日を今日の踏み台に〜

30歳を目前に海外へ旅立つ話

〜昨日を今日の踏台に〜

陸上競技から離れて。

中学1年の駅伝参加をきっかけに始めた陸上競技。当初はサッカーが自分のメインスポーツで夏だけ参加型の駅伝。中3の時にめちゃくちゃ走れてサッカーから陸上競技に転向しよう!と決めてその道へ。

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目標だったインターハイ決勝で走ること(1500m走ったよ!)、鳥取県高校駅伝記録2区の記録更新は個人的に達成。やりたい事ができた高校時代の陸上生活。

 

大学もそのまま陸上の力を借りて推薦で九州の鹿児島へ

大学競技時代の目標は日本選手権への出場と日本一のタイトルを1500mで取る事。

 

目標はどちらも達成出来ずだったけど大学4年の時に確かな感覚と、もう少し競技を続けたいと思い実業団チーム(自衛隊体育学校へ進むことを決意。

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最初の1年は・・・・・笑

銃撃ったり、匍匐前進したり、山で穴掘ったり、洗濯機で右手人差し指が吹っ飛んだり(笑)貴重な体験をしたけど今ではいい思い出。正式にチームの選手になった2年目からようやく走り始めて最終的に目標だった日本選手権陸上競技大会へ出場できた。もちろん自己ベストも3'47"47を1500mで出して(マジック日体大記録会w)。

 

自衛隊後は長野か群馬の山小屋で働くか、鹿児島の離島で教員になるか、女子の実業団チームにランニングコーチとして入るかというビジョンを元に準備。

 

ご縁もあって女子チームのコーチとして採用していただき、陸上競技に関する仕事で海外遠征や海外で活動をしたいという目標も経験させていただき、約4年活動。

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こうして大学卒業後も7年間陸上競技に携わる事ができました。

で、陸上競技に携わって14年目を過ごしている時に私自身がそこで思った事。

 

陸上競技しかしてねぇやん自分』

 

ろくに他のことに触れて来なかった自分。

または、そこにしかフォーカスを置いてなかった自分が今後、陸上のコーチや誰かを指導するってなった場合狭い視野の中でしか物事を進めれないんじゃないかと気がついた。

世界はこんなにも広く、1つのゴールに対して色んなアプローチ方法プロセスあるのにだ

それを知らずに、見ずに、経験せずにはいられないと思ったし、自分が気にも止めなかった世界で生きている人たちの事が知りたいと思った。

 

そして今に至る。NZ🇳🇿生活早くも272日目。

 

 

今では趣味となったランニングもこの国で自分のことを支えてくれているし、もうずっとやってるカメラや動画活動もコミュニティを広げてくれた。あと消しゴムはんこもそうだけど。笑https://www.instagram.com/p/B2jM5bzhJl8/

今は色んな人の夢や目標を聞くのがすごく楽しいし、そこに向かって生きている人たちが眩しい。語学学校でできた友達、外国人、日本人に限らず今の目標や夢に向かって生きてる。

そんな夢もなくて・・・それを探しにきたって言う人も含めてみんなで話すのが面白い。

 

自分が持ってないアビリティや経験を見るのも聞くのもすごく刺激的でパワーをもらえる。

 

時には各々、人それぞれに悩みや不安もあって、でもその中でポジティブに生きようとしている。そんな自分の周りにいる人に影響されながら今は生きています。

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夢を語る。思い出を振り返る。Mt Vivtoria.

 

自分の人生半分を陸上競技に費やしてきて、もちろん後悔ないこれまでだったけど。

だからこそ今からでももう少し視野を広げて、自分のできることの力や経験を身につけたい。

 

この旅ってそんな事が目標だったりする。

 

時々無性にプレッシャーを感じたり、何やってるんだろう。って思うこともあるけど、そんな時間も大切。

 

『近道なんてもったいない これからも冒険は続くのでしょう』

by WANIMA

 

の気持ちを大切にNZ生活 -第二章- を暮らしていきたいと思います!

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では皆さんご機嫌よう!